雪氷65巻4号(2003)より転載
北大名誉教授 若濱五郎
私が最も敬愛する木下誠一先生は、去る4月13日、癌のため79歳で急逝された。突然の訃報に接し、悲しみに沈み、先生の温かいお人柄と雪氷学上のご功績を偲びつつ、心から御冥福をお祈りするばかりである。この2年ほど、健康を害された奥様の介護に献身的に尽されていた優しい姿が眼前に浮かぶ。
思えば今から48年前、1955年(昭和30年)の夏、私が低温科学研究所に新米助手として赴任してきた当時、木下先生には特に優しくして頂き感激したものである。当時低温研では吉田順五先生の厳しい指導の下、積雪の物理的性質の総合研究が行われていたが、「雪の会」(研究会)の幹事であった木下先生の司会が研究を大いに活性化した事を思い出す。先生ご自身は積雪の塑性変形と破壊など、マクロな力学的性質の研究を行う一方、積雪薄片の作成法を考案・開発し、積雪の研究にミクロな手法を導入した。この功績で先生は第1回雪氷学会学術賞を受賞された。また先生が考案・作成された「木下式硬度計」はその後、路面積雪の研究、雪崩発生の予測など、多くの実用的な問題に広く使われた。先生はこのように学問だけではなく実用・応用も大事にされたのであった。
1962年秋、富山大学と低温研が共同で始めた北アルプスは「はまぐり雪渓」の雪氷調査に引続き、先生は大雪山の高根が原南東斜面にかかる「雪壁雪渓」の雪氷学的調査を開始した。これは、その後各地で行われた雪渓調査の先駆けとなった。教官、大学院生15-20名が、断面観測、手廻しボーリング、現場での薄片作成等を行ったが、その雪氷調査の経験は、その後、参加者の極地や氷河での活動に大いに役立ったという。夜遅くまでテントの申で酒を飲みながら口角泡を飛ばして議論した木下先生の姿を昨日のことのように思い出す。
やがて低温研に凍上学部門が新設され、先生はその主任教授になられ、以後、凍上学・凍土学において国内外で大いに活躍し、また、低温研の所長として研究所の運営に力を発揮されたが、これについては福田教授の追悼文に述べられている通りである。先生は米ソ冷戦時代、ソ連の研究者と共同でシベリヤの永久凍土学術調査を始めたが、これは当時の政治情勢から見ると至難のことで、それが出来たのは木下先生の実力と人柄があってこそであった。
先生、長い間本当に有難う御座いました。安らかにお眠り下さい。