雪氷65巻4号(2003)より転載
(社)北海道開発技術センター顧問 佐々木晴美
ここに、故木下誠一先生への追悼文を記すに当り、1987年6月、北海道大学名誉教授になられンターの顧問にご就任いただきましてから、ご逝去されるまでの間の、懐かしい想い出がよみがえってまいります。
1985年11月に第1回目を札幌で開催し、それ以来、毎年、道内の主要都市はもちろん、昨年は、青森市からの要請もあって、津軽海峡を渡る中で、過去18年間、毎年、継続・開催して参りました「寒地技術シンポジウム」では、第1回目から、一貫して論文審査委員長としてご協力をいただいて参りましたことに対しまして、つい最近まで、このシンポジウムの計画・運営に関する責任者でありました私のみならず、このシンポジウムヘの参加者の皆さん全員が、尊敬と感謝の念をもって受け止めていたものと確信しております。
また、1983年2月に、40名の仲間達と協力して、札幌からスタートさせた「寒地開発に関する国際シンポジウム(ISCORD)」につきましても、その計画・運営に関しまして貴重なご助言をいただきました。
1988年8月、中国ハルビンで開催された第2回目、199!年6月、カナダ・エドモントンで開催された第3回目、1994年6月、フィンランド・エスポーで開催された第4回目、1997年5月、米国アンカレッジで開催された第5回目の国際シンポジウムには、それぞれ、ご同行いただきました。第3回目の国際シンポジウム終了後、エドモントンを出発し、ジャスパーを経てカナディアン・ロッキー沿いの自然・野生動物保護の実態を見学した折に、レーク・ルイーズをバックにして、日本からの参加者の皆さんと一緒に、先生が最前列で登山帽をかぶり、しゃがんでおられる姿が写された記念写真は、今なお、自宅の私の部屋に飾ってあります。
第4回目の国際シンポジウムでは、当センターの提案に基づいて設立されました国際組織「国際寒地開発研究協会」の理事に、ご就任いただきました。
さらに、私自身、今から、10年以上も前に、木下先生から、北大のスラブ研究センターや経済学部、北海学園大学経済学部の一部の先生方が中心となって運営されていた「北海道・シベリア極東研究会」に参加してみてはどうかとのお誘いを受け、私は、それ以来、この「研究会」に参加させていただいて参りました。実は、このことが、当センターが、数年前に始めた「北東ユーラシア地域における寒地技術交流ネットワークの形成に関する調査研究」に、大いに参考になったのであります。私は、この事例を通して、木下先生の先見性の一端を拝見したように思っております。
在りし日の木下誠一先生の“誠実さ”と、“優しいお心配り”に、改めて、敬愛の気持ちを、ここに披渥するとともに、先生との出会いに感謝しながら、追悼の言葉と致します。