木下先生との思い出

元(財)電力中央研究所 緒方信英 



 私は、以前(財)電力中央研究所に勤めていました緒方と申します。初めて木下先生にお会いしたのは、多分1977年(昭和52年)の1月で、当時日本ガス協会がLNG地下タンクの設計指針を作成するために設けた委員会のうち、凍土部門に関する委員会に出席した時であったと思います。当時電力サイドでも電気事業連合会の中に委員会を設置し、同様の作業を行っておりましたが、ガス協会の委員会はオール・ジャパン的な雰囲気で、途中から外様が入り込んだというような気持ちがしておりました。なんとなく居心地が悪く、おまけに九州出身の私はそれまで凍土を見たことがなく、暗中模索の状態でした。先生はその辺を察知されたのか、ガス協会の仕事とは直接関係のない私共にも、一度低温研と苫小牧の演習林にある凍上観測室を見に来るようにと親切に誘っていただきました。1978年(昭和53年)2月に凍上観測室に伺いまして、確か当時博士課程に在籍しておられた井上正則さんに懇切に説明していただき、また低温研では、先生自ら各種の低温室や実験設備を説明していただき大変恐縮いたしました。当時は「凍土研究会」と言っていたと思いますが、その第2回(昭和54年6月)から参加させていただき、 “凍上病”という不治の病に罹られた多くの方々に紹介していただき、色々な知見を授けていただきました。正直に申しますと、話の中身は難しく、あまり理解できなかったのですが、それでも興味深く、精研の高志さん、CRRELの高木先生、熊井先生など懐かしく思い出されます。このような機会を授けていただきました木下先生には、今でも言葉では言い尽くせないほど感謝いたしております。「凍土研究会」や「凍土分科会」は、研究会終了後の懇親会が楽しく、酒があまり飲めない私でも殆ど懇親会を外す事はありませんでした。中には研究会には出ないが懇親会だけは出るという方もいらっしゃったようですが、木下先生や福田先生の人柄ゆえのことと思います。先生のお人柄といえば余談を一つ。「凍土分科会」はオープンで、凍土に興味がある雪氷学会の会員は誰でも参加可能で、会長と幹事はいても、委員はいない筈です。しかし、実は私は日本雪氷学会「凍土分科会」唯一人の正式の委員なのです。「凍土分科会」に出席しやすくするため、先生にお願いし、勤務先宛に委員の委嘱状(昭和62年5月13日付)を発行していただきました。「そんな無茶な……!」との声も聞かれそうですが、先生は度量の大きい方でした。

 しかし、私にとって先生との一番の思い出は、1982年にCRREL(米国寒地工学研究所、写真)が主催したISGF'82(国際地盤凍結シンポジウム)に同行させていただいたことです。40歳にして初めての海外で、しかも英語は(今はないPan Amの飛行機の中で、成田を飛び立ったとたんに思い知らされるのですが)話せず、聞き取れず、書けずの状態で発表(シンポジウムでは、なんと最初の発表者でした)までしようとの決死の思いでした。幸い木下、福田両先生のご一行に加えていただきましたが、もしそうでなければ、とても米国の田舎の山の中のシンポジウム会場のホテル(写真)へは辿り着けず、多分日本にも帰って来れなかったのではないでしょうか。講演終了後は、皆でホテルの先生の部屋に集まって反省会?になりますが、先生のタフさには驚嘆の一語に尽きました。シンポジウム終了後、カナダのNRC訪問へも同行させていただきました。土曜日にもかかわらず、NRCではPenner氏、Baker氏、Parameswaran氏、富山大の対馬先生その他の方々にお会いでき、また色々な実験設備などを見せていただくことが出来ました。我々の旅行スケジュールのため、休日である土曜日の訪問になりましたが、多くの方々に親切に迎えていただきました。木下先生や福田先生の人脈・人望に感服した次第でした(写真)。


 ISGFが1985年に札幌で開催されました時は、開催委員会委員長としての木下先生や福田先生が大変ご尽力され、非常な成功を収められました。私は体調を崩し、残念ながら懇親会後の二次会には出席できませんでしたが、海外からの参加者にも好評であったと伺いました(写真)。ISGF'85で配布されました予稿集などを入れるバッグは、今もって私の愛用品です。
 困惑から始まった私共の凍土の研究は、木下先生や福田先生、凍土分科会の皆さんにお会いしご指導を頂いたおかげで、私の研究生活の中で最も楽しい時でした。凍土の研究そのものは、私の転勤のため不満足な結果で終止符を打たざるを得なくなりましたが、お導きいただいた木下先生に感謝いたしますと共に、懐かしく、つい最近のことのような気がいたしております。
 東京で雪氷学会が開かれれば、また是非先生の笑顔にお会いしたいものと、いつも念願いたしておりましたが、その願いを果たす事が出来なくなりました。非常に残念です。

 木下先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。