木下先生の思いで
2003.6.26 石崎 武志
私は、昭和52年、北大低温科学研究所凍上学部門に、理学部地球物理学科修士の学生として入りました。その時の指導教官が、木下先生でした。冬、木下先生に低温研で初めてお会いしたときに、長靴をはいて毛糸の帽子をかぶられていた姿がとても印象的でした。その頃土曜日の午後は、木下先生のロシア語ゼミがあり、ロシア語の凍土関係の本を読んでいました。ゼミの初めには、前回勉強したところの、ロシア語の単語の試験があり、大学の学部で受けたロシア語の授業より思っていた以上に厳しいものでした。このゼミは、その後のシベリアの永久凍土調査や、モスクワ大学の研究者との共同研究などにおいて大変役に立ちました。
学生時代は、凍上現象のフィールド調査ということで、苫小牧の凍上観測施設に泊まり込みで、観測に行きました。その当時は、教授の木下先生、助教授の鈴木先生、助手の堀口先生、福田先生と学生という形で行きましたので、我々学生は、ベットに寝ることができず、床にシュラフで寝たのを覚えています。夜は、酒を飲みながら色々な話を聞くことができました。特に、木下先生を団長とするシベリアの永久凍土の調査でヤクーツクに行った際に、懇親会のウォッカの飲み比べで、木下先生が、ヤクーツクの凍土研究所の門番に勝ったという話は伝説のようになっています。また、苫小牧の凍上観測施設には、カナダのゲルフ大学のB.D.KAY教授も来られ、酒を飲みながら、凍上現象のメカニズムなどについても議論したのを覚えています。
フィールド調査に関しましては、学生の時に、木下先生の運転するランドクルーザーで、先輩の武田さんと一緒に、冬季の地盤の凍結や凍上の観測で、北海道を回りました。実際に、自分の目で凍上害を見て、それについて、研究所の実験室で研究できるというのは、学生にとって、大変良い経験であったと思います。
その後、1年間カナダのゲルフ大学に留学する機会を得た際に、木下先生が、北海道のテレビ局の方と、北米ニューイングランド地方の冬を撮影するというので来られ、私が運転手を務め、トロントからナイアガラの滝、ニューハンプシャーのCRREL(米国寒地工学研究所)、雪の結晶で有名なベントレーの生地のジェリコなど回りました。氷に覆われたナイアガラの滝や冬のジェリコなどに、木下先生と一緒に行けたことは、とても良い思い出です。その後も、イギリスのノッチンガムやフランスのナンシーなどで開催された国際地盤凍結学会に一緒に参加することもできました。
木下先生が、叙勲のため、皇居に来られたときに、私が現在勤めています東京文化財研究所にご夫妻で寄って頂きました。大変感謝しております。また、亡くなられる一週間前に、札幌で地盤工学会の委員会があり、精研の伊豆田さんとお見舞いに行きました。その時は、ベッドに座っておられました。ベッドの上には、雪氷学会の学会誌である「雪氷」、地盤工学会の学会誌である「土と基礎」の最新号が置かれていました。最後まで、凍土の研究に関心を持たれていたのだなと改めて関心いたしました。これが木下先生との最後のお別れとなりました。
木下先生、長い間どうも有り難うございました。合掌。