雪氷65巻4号(2003)より転載

木下先生の思い出

日本鋼管テクノサービス 井上正則


 4月13日、休日出勤していると、後輩の武田君から電話が入り、木下先生の訃報を受けた。色々な思いが脳裏を駈けた。先生とお会いしたのは、4年程前、東京で北大工学部赤川さん(当時、清水建設)とともに食事をしたのが、最後になった。私は、昭和48年に、北大地球物理学科を卒業し、大学院では低温科学コースの凍上学部門を選んだ。当時の凍上部門は、木下教授、鈴木助教授、堀口助手、福田助手の4人体制で、本当にユニークな先生方ばかりで、楽しく勉強することができた。木下先生は、特段威張る風もなく、非常に気さくな方で、親しみがもてたことをつい昨日のように思い出す。先生からは色々なことを教わったが、そのうちの一つにロシア語がある。大学院生や助手の先生を相手に、凍土の文献を読むもので、毎週単語を10個覚えさせられた。2年ほど経つと、辞書を引かずに凍土の文献を読めるようになって感激だった。
 先生には、2度海外に連れていってもらった。1度は、日米科学研究協力「土中の水分移動」のセミナーでの発表(修論)で、ワシントン大学、アラスカ大学を訪問した。事前準備で論文のabstractを書いたが、なかなかOKがもらえず、最後は藤野先生に手伝ってもらった。この厳しさに接したことは、後々部下の英語を指導するにあたって私の財産になった。2度目は、博士3年の時で、カナダ、アラスカの永久凍土調査であった。アイスウェッジや構造土、ピンゴの内部構造調査で、私は最大融解深度と植生、熱伝導率との関係を調べた。カナダではPCSPのキャンプに2週間程滞在したが、まずビールを何ケースも買ってチャーター機に積み、酒を確保。私は、「酒保係」を仰せつかり、調査から戻ると、まず皆に一本づつ配る役目。お酒には、目のない先生であった。
 日本鋼管に就職後も何かとお世話いただいた。昭和56年から2年問、カナだNRC (National Research Council of Canada)のDBR (Division of Building Research)に氷工学の勉強で留学する時も、先生からGoldさんやPennerさんに手紙を書いていただいた。先生は、積雪の分野で大きな仕事をし、その後、海氷そして凍上・凍土へと研究分野を移してきたが、私は、全くその逆であった。雪のことをテーマとしたときには、よく先生の論文を読んだものだ。
 告別式では、先生の特長である、柔和なお顔の遺影が飾られていた。最後に、門下生を代表して、先生の著書「凍土の物理学」を棺に収めた。先生は、世の中の機微を理解し、肩肘張らず、真っ直ぐに生きてこられたように思う。懐の深い先生であった。先生の薫陶を受けた、私たち門下生は、分野は違っても、それぞれの道で精一杯頑張ります。どうぞ見守って下さい。
 木下先生のご冥福をお祈りいたします。